流山

Google Map

「羽口の渡し跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

慶応4年(1868年)4月1日まで五兵衛新田の金子家を本拠地として隊士の徴募を行っていた新選組は、翌2日未明に流山にはいり、本隊は味噌屋(長岡屋)に、その他は光明院、流山寺に分宿した。

「賊軍(反政府勢力)が流山に集結している」という情報は、その日のうちに江戸から宇都宮に移動中の東山道軍総督府大軍監・香川敬三のもとに届き、香川は3日の早朝、宿所の粕壁(春日部)から4小隊を率いて流山に急行した。

香川率いる官軍が越谷を経て、羽口の渡しで江戸川を渡ったのが3日の午後3時から4時ころとされる。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

 (新政府軍が着岸した羽口の渡し跡。かつて江戸川の両岸を結んでいた8箇所の渡船場の跡には流山市観光協会によって標柱が設けられ、当時を偲ぶよすがとなっている(写真は川を背にしている))

 (近藤勇が官軍に連行された矢河原の渡しは、ここから下流へ1.5km)