多摩(新選組のふるさと)

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「井上源三郎資料館」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

井上源三郎は近藤より5歳、土方より6歳年長で、新選組では副長助勤・六番隊隊長をつとめた。近藤や土方の信頼も厚く、隊士からは「源さん」の愛称で親しまれた。

文政12年(1829年)八王子千人同心・井上藤左衛門の三男として生まれる。兄の松五郎も千人同心で、当資料館はその松五郎の子孫の方によって運営されている。

八王子千人同心とは、徳川家康が関東入府のさい甲州方面からの敵に備えて創設した兵団で、おもに武田氏の遺臣がこれにあてられた。しかし太平の世となると八王子を防衛するという意味合いがうすれ、その主な任務は日光東照宮の警備となった。身分としては武士階級に属するが実際には武士と百姓の中間のような存在であったらしい。

日野宿で天然理心流が流行した背景には、源三郎の兄・松五郎が日野本郷の名主・佐藤彦五郎にこの流派を紹介し、佐藤が入門して自宅(本陣)に天然理心流の道場を設けたということが大きい。

井上源三郎が近藤周助の天然理心流に入門したのは近藤勇と同じころかそれよりも早いが、免許を得るまで10年もかかっている。性格的には地味で温厚なタイプだが、剣術には熱心であり、またいざというときには非常に頑強な面もみせた。鳥羽伏見の戦いで千両松での戦闘中に大坂から撤退命令が出たとき、まだ永倉新八や斎藤一が迂回作戦から戻ってきていないから、自分も絶対に退けないと踏ん張っているうちに銃弾で腹部を撃たれ落命してしまった。

その場に居合わせたという源三郎の甥の泰助(当時12歳)の回想によると、源三郎の刀と切り落とされた首を持って歩き出したが、その首があまりに重いため、それを持ったままでは敵に捕まってしまうと仲間に言われて仕方なくある寺の門前に埋めたという。墨染の欣浄寺という寺院がその寺ではないかとも言われているが詳細は不明である。

PHOTO

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 (井上源三郎資料館は旧甲州街道の北を通る路地に面して建っている。この道を200メートルほど進むとJR中央線の高架がある)

 (資料館は井上家に伝わる史料や遺品を収めた土蔵を改装してつくられた)

 (井上源三郎の兄・松五郎の子孫の方が運営している)

 (開館日は通常月2回のみ。出かける前にご確認を)