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大内館跡(龍福寺)

(おおうちやかたあと/りゅうふくじ)

大内館跡
山口市大殿大路

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周防国・長門国を本拠として山陰・山陽・北九州にまたがる最大7カ国を支配した室町時代の守護(戦国)大名・大内氏の居館跡。

現在その跡地は曹洞宗の寺院・龍福寺となっている。

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「大内館跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

南北朝時代の武将・大内弘世(ひろよ)は正平6年(1351年)に周防守護職に任じられ、その後厚東氏を破って長門国守護も兼ね、後の大内氏の広大な領国の基礎を築いた。その弘世が正平15年(1360)ころに大内御堀から当地へと館を移転させ、京の都を模した街づくりをしたといわれている。

時代が下って天文20年(1551年)、家臣の陶隆房(すえたかふさ)の謀反によって時の当主・大内義隆は自害に追い込まれ(大寧寺の変)、大内氏は事実上滅亡した。弘治元年(1555年)厳島の戦いで毛利元就(もうりもとなり)が陶隆房を攻め滅ぼすと、嫡男・毛利隆元(たかもと)は大内義隆の菩提を弔うために館跡に龍福寺を建立した。(毛利骭ウは父・元就が大内氏に帰順したときに人質として大内義隆のもとで過ごし厚遇を受けていた。骭ウの正室は大内義隆の養女・尾崎局。また「骭ウ」は義隆の一字を賜ったものである)

PHOTO

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(龍福寺山門。紅葉の季節がとくに美しい)

(山門の左手にある大内館跡の説明板。敷地は方形で1辺が170メートル余りもあったという)

(龍福寺本堂は重要文化財)

(本堂に関する説明板)

(龍福寺資料館前に、「炎の陶工」とよばれた月形那比古作(つきがたなひこ)の大内義興(よしおき)の騎馬像が据えられている。勘合貿易で巨富を築いた大内義興は管領代となり、幕政を左右するほどの権勢をほこった)

(大内義興像の説明板)

(内側から見た山門)