江戸

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「桜田門(桜田門外の変)」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

桜田門は、江戸初期には小田原街道の起点として、小田原口(小田原門)と呼ばれた(家康入府前の江戸城は、小田原に本拠をもつ戦国大名・北条氏の支城だった)。寛永13年(1636年)に枡形構造をもつ門が建設され、桜田門となる。

安政7年3月3日(1860年3月24日)、大老・井伊直弼の強権政治(安政の大獄)に憤激した水戸浪士らが、登城中の井伊の行列を桜田門に入る直前で襲撃し、その場で井伊を殺害するという「桜田門外の変」が発生。幕府の最高権力者が白昼襲われて落命するという失態に幕府の権威は地に落ち、以降幕府の方針は公武合体という朝廷との協調路線に転換し、さらには薩長との対立を経て大政奉還へと、終焉への道を進むことになる。

井伊襲撃の前に浪士たちは、愛宕神社で本懐成就の祈願を行った。

PHOTO

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 (桜田門は、渡櫓門(わたりやぐらもん)(左側)と高麗門(こうらいもん)(右側)の二重構造をした枡形門となっている)

 (高麗門の内側から国会議事堂をのぞむ)

 (警視庁前の桜田門交差点。三宅坂(現在の憲政記念館のあるあたり)にあった井伊直弼の屋敷から出発した行列は、道路の左側から進んできて、ちょうどこの付近で水戸浪士たちに襲撃されたと考えられている)

 (内堀通り三宅坂から。この右側・最高裁判所から憲政記念館あたりに広大な井伊直弼の屋敷が広がっていた。豊かに水をたたえる桜田濠の先に桜田門の白壁が見える)