江戸

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「英国公使館跡」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

英国領事館(のち公使館)は当初、高輪東禅寺にあったが、攘夷派による襲撃(東禅寺事件)のあと横浜に移転していた。その後、北品川の御殿山にイギリス、アメリカ、オランダの公使館が建設されることとなり、最初に建てられたのが英国公使館だった。

薩摩藩による生麦事件(文久2年(1862年)8月)のあと、長州藩の攘夷志士たちは薩摩に遅れてならじと自分たちも独自の攘夷行動を起こそうと企んだ。高杉晋作久坂玄瑞・井上聞多 (ぶんた/もんた)(馨)らは外国公使暗殺計画を立てたが失敗したため、こんどは御殿山の英国公使館への放火を企てる。

文久2年12月12日、品川宿の妓楼・土蔵相模に集合した高杉らは深夜、焼き玉を懐にしのばせて御殿山に向かい、建設中の英国公使館に火をつけて全焼させた。このとき建設費4万ドル(これは幕府持ち)の豪華絢爛な公使館はほぼ完成していた。

幕府側は犯人の目星はおおよそついていたかもしれないが、幕府としても本心は江戸湾を一望に見渡せる御殿山という要地に外国の公館を建てることは望んでいなかった。そのため犯人捜しもおざなりになったと言われている。なお、この放火事件には、伊藤俊輔(博文)も加わっており、伊藤や井上は維新後になって、この事件の犯人が自分たちであったことを自慢話として暴露したらしい。

PHOTO

(写真クリックで拡大します)

(英国公使館の建っていた北品川郵政宿舎)

(上の写真の道路奥から逆方向)

(上の写真の道路奥に突き当たったところ。東海道本線・新幹線が下に走る。奥行き方向が横浜方面)

(反対方向には御殿山トラストシティがそびえる)