江戸

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「伊藤博文墓所」は、地図上のマークがある付近です。

HISTORY

日露戦争勃発後、三次にわたる日韓協約によって、日本は韓国の外交権のほとんどと内政権の一部を掌握していた。暗殺者の安重根は初代韓国統監となった伊藤博文を、自国を蹂躙する帝国主義者の象徴とみなし、明治42年(1909年)10月26日、ロシア蔵相との会議のためハルビン駅に到着した伊藤を待ちかまえてピストルで狙撃、重傷を負った伊藤はまもなく死亡した。

同年11月4日、日比谷公園で伊藤博文の国葬が行われた。明治天皇は「伊藤は朕と最もうまの合う男であった」と言われ伊藤の死をふかく嘆き悲しんだという。

暗殺犯の安重根は翌明治43年(1910年)3月、死刑に処せられた。同年8月日本は韓国を併合。伊藤は韓国併合には否定的だったとも言われ、また伊藤暗殺が韓国併合を早めたとも言われている。


(伊藤博文については、伊藤博文旧宅(萩の史跡)もご覧ください)

PHOTO

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(伊藤博文の墓は西大井駅からほど近い西大井緑地公園にある。近くを横須賀線と新幹線(高架)が通る。左が東京方向)

(墓所内には通常は入ることができない。毎年命日(10月26日)を中心に公開される)

(門扉の格子のあいだから)

(神式の墓所で鳥居の向こうに円墳がみえる)